2018
11.20

2018年夏 天空巨大アーチ

閑話

 

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2018年の夏休み。悩みを抱えていました。

色んな事がうまくいかなくて、どうしても納得できない事が立て続けに起きて、大切な人達とケンカをして。その時はその人たちの全てがイヤで仕方ないのに、付き合いを諦める勇気もなく。イヤな思いをしたエピソードが頭に浮かぶたび、母に愚痴を言っていました。

誰かに愚痴を言っても、自分の心がどこかに着地しない限り出口は無いと分かっていても、抱えきれない苛立ちや不安が後から後から口から零れ落ちました。

まだ雨

母の運転する車に揺られながら、その日もたくさんの愚痴を話していました。

「私ばかりが相手の事を考えていて、私ばかりが大変な思いをしている。」

その考え方が間違っているという事は、頭では分かっていました。世の中の全ての人が、目の前で起きた問題を他人のせいにしていては何も解決しませんから、例え相手が100%悪いと思える状況であったとしても他人事にしてはいけないと思っています。

だから私も当事者でなければ、そして感情的になっていなければそれが出来たのだと思います。

人間関係が壊れるときは、相手のせいだけでもなく私のせいだけでもない。他人の責任にしても問題は解決しない。それを十分理解しているつもりでも、悩みの渦中にいるとどうしてもワガママで感情的になってしまいます。でも相手だけを責める事も出来ず、自分のせいにして終わらせる事も出来ず、自分で自分を追い込んでしまいすごく息苦しい。

精神的にも肉体的にも負荷が高くなり過ぎて、母の前で愚痴っている間、結局誰かのせいにせずいられませんでした。

母に愚痴を話し終え、少しの無言の時間。

いつの間にか雨は止んでいて、少しだけ太陽が覗いていました。

晴れ

赤信号で車が停止した時、母が声を上げました。

「Yuni!左!空、見てごらん!」

あまりにも壮大なアーチを目にして、一瞬言葉を失ったあと、慌ててすぐに車を路肩に寄せてもらいました。

車を降りて、一心不乱に写真を撮りました。こんなに大きくて、こんなに暖かい虹は初めてでした。生まれて初めて見た虹の根っこ。それも左右両方。

あそこに行けば、本当に虹の根っこに触れるんじゃないかと思いました。

撮影を終えて車に乗る頃には虹は薄くなっていて、その20分ほど後には跡形もなく消えてしまいました。

無理やりにでも前を向く

思いっきり悩んで苦しんだ直後に虹を見て思った事。

それは相手を許せるかどうかだったり、自分のせいにして納得できるかどうかではなく、そんな事は大事な事ではないのではないかという事です。

そもそも、人間関係で白と黒の二択で片付けられる問題なんて一体どれだけあるんでしょうか。

二択で分けられるようなハッキリした答えが存在しないのが人間関係なら、そんな答えの出ない問題にいつまでも意識を向けて下ばかり向いていている事に意味などあるのでしょうか。

下を向いている間に、もっと素敵なモノに目を向けられたら、周りを幸せに出来るかもしれません。

もちろんそれは開き直って全てを忘れたり捨てたりする後ろ向きな考えではなくて、そういう前向きな気持ちでいれば、今まさに揉めている相手であっても悪意のない素直な言葉を伝える事が出来る。そんな気がします。

だから「無理やりにでも前を向く」🐾🐾

愚痴を話すときもなるべく前向き風に・・・出来たらいいな😆

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